人それぞれ大切にしている宝物…思い出、信念、モノ様々あると思います。
今回は私自身の宝物:三種の神器を紹介したいと思います。その背景にある思いとしては
皆様にとっての大切なモノ、宝物を再発見してほしい、見つめ直すきっかけをもってほしい
この願いをもって紹介させて頂きます。
【プロフィール詳細ページ⇩/宝物に関係する記憶を記載しています】
私の大切な宝物たち

まずはコーヒーミルとカップです。出会いは社会人になってからですが、どちらも
約6年間ほぼ毎日、毎週使っている相棒ともいえる存在です。
(長い期間使用-時間を共にしていると、本当に相棒感覚が芽生えてきます)
カップからも見て取れますが、私はDMMの”艦これ”ユーザーでした(今は休止しています…)
ここでは省略して、また別の記事で関連する思い出、体験を紹介したいと思います。

次に自分にとっては絶対に欠かすことができない宝物:亡き祖父が愛用していた帽子です。
祖父には中学生までたくさんお世話、可愛がられまして、暖かい思い出がこの帽子の中に
たくさん詰まっています。
中学生から今までの約20年間、ずっと手元から離さなかった、私にとってのは一番の宝物です。
宝物は自分自身が探し、見いだしていくもの
コーヒーミル、カップ、そして帽子どれをとっても皆様:私以外の他者にとっては何の意味、価値を持たない無一物であると思います。それで間違いないありません。多くの時間が経つ中で使い込まれ、劣化していき、新品:きれいな状態であったのは遥か昔…当然です。
一方で私1人だけの視点に立てば、三種の神器とも表現した宝物…私と他者の間で、そのモノに
対して下す価値が正反対なものになっています。
自分にとっての本当に大切な宝物とは”他者や社会によって定義、決められるものではなく、
自分自身が探し、見いだしていくもの”であり、多くの時間を共有し、姿形がボロボロになり
ながらもたくさんの思い出が詰まった対象”が多く当てはまるのではないかと思います。
勿論自分だけではなく、他者(社会)にとっても共通の宝物も存在するかと思います。
世界遺産に登録されている場所やモノが代表例でしょうか。
ただ、過ごした時間や得られた思い出は大きな影響力を有しており、自分自身にとっては
他者の価値基準を凌駕、無意味なものにする、唯一無二の基準になると考えます。

忙しい毎日の繰り返しで、本来はすぐ近くにある自分にとっての宝物を見失うことはよくあると思います。私自身も過去、仕事の忙しさ、プレッシャーに押しつぶされる形で、忘れていた期間が
ありました。
だからこそ1人でも多くの方に、それぞれの宝物を再発見してほしい、見つめ直してほしいと強く思い、この記事を作成しています。
私も皆様も、自分自身にとっての大切な宝物は、遥か彼方ではなく、手が届く範囲に(必ず)
数多く、見えにくくなっているだけで既に存在しているものと信じています。
 
       
       
       
       
  
  
  
  


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