断捨離-思い出の再生産

僕たちに、もうモノは必要ない。 日常

今でこそ、私は所有するモノは徹底的に吟味する-お気に入りのモノだけを
大切に長く所有する というスタンスになりましたが、社会人になりたての時期は
とにかく買いたいと思ったものはドンドン購入するという真逆のスタンスでいました。

お金はあるし、気になったものを購入すれば、自分は今よりも豊かに幸せになれる..
そう思い、学生時代に手が届かなった書籍やゲームを中心に購入していました。

今冷静に振り返ってみると、過去の記憶や自分自身に悪い意味で囚われていたと思います。
過去、自分は書籍やゲームで楽しい時間を過ごし、思い出を作ることができた、と。
だから、社会人になった今でも、書籍やゲームで有意義で幸せな時間・思い出を構築する
ことができるのだと。 過去から変わった今の自分に向き合えていませんでした。

自分のスタンスが変化した1つのきっかけとして、書籍-佐々木典士さんの
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」があります。

この書籍がきっかけとなり、所有していた-役目を終えたモノを手放していきました。

スクールランブルが写っている。
小林尽さんの漫画作品”スクールランブル”。読破した上で手放しました。
ルーンファクトリー3
ルーンファクトリー3。大学3年からプレイしていた思い出あるゲームの1つです。
パワプロクンポケット13
パワプロクンポケット13。小学生の時に5をプレイしたのがきっかけで、楽しくプレイしていました。
PS-Vitaと3DS
PS-Vitaと3DS。最後の手放した携帯ゲーム機で、思い出たくさんのモノです。
歴史人文系の書籍も全て読破した上で手放しました。上記の”ヒトラー”は特に読みごたえがあった書籍です。

モノを手放していく中で、気づいたことは
大切なモノを・思い出が詰まったものであればあるほど手放すことで、
その思い出が強固になる-再生産される ということです。

手放したモノに関する思い出や記憶はなくなる…のではなく
過ごした時間や思い出が再生産(再整理)され、そのモノや関連する
思い出や記憶に感謝や喜びの気持ちを向けられるようになりました。

トートバッグ
約8年間お世話になったトートバッグ。傍から見れば、ボロボロの無価値なモノですが…

手放したことで、そのモノや関連する思い出の価値が最も高まったモノが
上記写真のトートバッグになります。

社会人1年目にダイソーで300円(?)ほどで購入。ボロボロになるまで使い続け、
引っ越しを契機に手放したモノになります。

私以外の皆様から見れば、何の変哲もないボロボロで無価値になったバッグ…ですが
私にとっては何百回・千回もの買い物でお世話になった、思い出あるモノです。

“ありがとう”と言いつつ、感謝の気持ちを込めて手放し、そこから時間が経ちましたが
今でも写真を見ると、所有していた頃の思い出や手放すときの感謝の気持ちをすぐに
思い出すことができます。

20代が終わり、30代になった今では、人生が出会いと別れの連続であることが
強く実感するようになりました。そして、それは人だけではなく、モノや関連する
思い出・記憶に関しても同じように当てはまると思います。

過去を大切にしつつも、それに囚われずに今に目を向け、生きていく。
断捨離はその実現を助けてくれる、手段や概念であると私は解釈しています。

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