人それぞれ大切にしている宝物…思い出、信念、モノ様々あると思います。
前回②では、佐世保旅行の紹介でしたが、今回は同じく旅行の思い出
具体的には、”湯布院”になります。
佐世保は何度も訪問しましたが、今回の湯布院に関しては、1回限り-1度しか
訪問していません。ただその思い出-記憶のインパクトは強烈に残っており
佐世保にも負けず劣らず…ということで紹介させて頂きます。
【前回-佐世保に関しての記事】
湯布院のインパクトが強く残っている結論としては、下記3つです。
① 雰囲気や様子が地元と似ていた=のどかでゆったりとした環境
② のどかでゆったりとした環境の中で”何もしないで、ただただゆったりしていた”
③ 躊躇わずにお金を投入して、結果的に最高の時間を過ごせたため
出発~散策
湯布院を訪問しようと思ったきっかけですが、長期休暇での実家帰省がなくなり
時間を持て余すことになったため、実家帰省の代わりに湯布院でゆっくりしよう…
そう思い立ったのが経緯になります。
当時私は福岡県に住んでいたため、湯布院へのアクセスは博多駅から特急一本と
交通アクセスにも恵まれていたとも訪問を後押ししてくれました。
2泊3日のざっくりスケジュールを組んで、出発しました。




湯布院に到着後は、駅周辺の観光スポットを軽く散策しました。




宿泊地-山荘わらび野
湯布院での宿泊地ですが、山荘”わらび野”さんに2泊3日で宿泊しました。
(公式サイトが最安値だったため、気になった方は公式サイト訪問をおススメします)


宿泊料金ですが、2泊3日、朝夕食の2食付きで、約120,000円でした。
博多からの往復移動費や湯布院で消費した分のお金も含めると約150,000円。
当時、1回の旅行イベントで消費した金額としてはトップに躍り出たものでした。
実家に帰省する3~4倍程のお金を消費する結果になりましたが、
後悔は全くないです。むしろ、わらび野さんや湯布院には感謝しかありません。







半露天風呂から食事まで、何から何まで至れり尽くせりで
“こんなに贅沢な時間やサービスを享受していいのか?”と感じていました。
今でも本当に、素晴らしい時間を過ごすことができたと思い返します。
何もしない時間-最高の贅沢
宿泊地-わらび野さんだけでもインパクトは凄かったのですが
自分が選択した2日目の行動が結果的に大正解であったこと の記憶も強いです。
何もしないで、ゆったりと過ごす。この行動を選択した当時の自分を
本当に褒めてやりたいです。






道の駅 ゆふいんでは2.5時間ほど滞在していました。
その時間ですが、文字通り”何もしていませんでした”。
ベンチに座って、周囲や空を見上げるなどして光景を焼き付けて
何も意識せずにボーっとして、また周囲や空を見上げる…
こんな感じで終始過ごしていました。
旅行ならば観光やレジャー体験を…と考える人も多いと思います。
それもそれで1つの大正解だと思います。折角の非日常イベントですからね。
一方で、見知らぬ・慣れない土地でただただ何もしない-ボーっとゆったりする
という行動も大正解になるかと思います。感覚が研ぎ澄まされ、いつも以上に
1分1分、1秒1秒が刻み込まれる-有意義に過ごすことができる と感じたからです。
(ゆったりとしつつ、しっかりと記憶を刻み込む、両者を同時に実現できた思います)




湯布院との別れと変化
湯布院での時間はあっという間に過ぎていき、気づけば最終日-湯布院から離れる日を
迎えました。寂しい気持ちと素晴らしい時間を過ごせた満足感がごっちゃになって
複雑-自分でもよくわからない心情でした。






湯布院からの帰宅後、少し時間が経って、自分が少し変わったと思うようになりました。
①1日1日の日常を幸せに過ごそうと想い、行動するようになった
②自分が価値あると感じた体験に対して、お金を惜しまないようになった
湯布院での時間は、まさに”非日常”でした。その非日常でたくさん満足できたためか
今度はもっと近くにある日常をより良いものにしようとする行動・考えが芽を出し始めました。
そして、湯布院までは旅行やイベント事の予算は数万円程度-10万を超えることはなかった
という自分が、価値がある・これは絶対に体験すべき と感じたものに関しては
お金を惜しまず消費するようになりました。
(一方で無駄なモノにはお金を出さない..は変わらずで、いい意味でメリハリが付きました)
終わりに-若い時の記憶の価値は∞
私が湯布院を訪れた時の年齢は20代中堅で、まだまだ若造…の時でした。
そこから数年間の時間が経ちましたが、今でも湯布院での体験や記憶は色濃く残っており、
自分の血や肉になっていると感じます。
非日常で素晴らしい時間を過ごせたからこそ、日常をより良くしようと感じましたし
日常を良いものにするほど、非日常の価値も自然と高まっていく…
日常と非日常は、お互いに相乗効果を有していると感じ気づきました。
また、これからの人生で終わりを迎えるまでは、湯布院での記憶による恩恵を継続して
受けることができます。巷では”思い出の配当金”や”記憶の再生産”とも表現されたりしますが
これがあるからこそ、若い時の記憶が有する価値は、計り知れない=∞であると思います。
私の場合は湯布院が大きなきっかけとなりましたが、皆様にも大きなきっかけ-素晴らしい時間や
体験、記憶をなるべく早く掴んでほしいと願います。人生の終わりから見た時には、今現在が
一番若い時に当てはまりますからね。
長くなりましたが、以上で私の湯布院での記憶の記事は終わりになります。
当時は湯布院に匹敵するような体験や記憶は十年間は起こらない…と思っていました
….が数年後に目の当たりにすることになります。
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